どうしてそんなことで泣くの?
なんでそれくらいのことで怒るの?
子どもと過ごしていると、
ふとそんなふうに感じること、
誰にでもあるのではないでしょうか?
大人からすると些細に思えることでも、
子どもにとっては、心を揺さぶられる大きな出来事だったりします。
だけどつい、私たちは
普通はこうでしょ?
という感覚で、子どもの反応を否定的に捉えてしまうことがあります。
今回は、親と子どもの感性の違いに焦点を当て、
それをどう捉え、どのように関わることで、
子どもに自尊心や自己肯定感を育んでいけるのか?
について、お話しようと思います。
親子なのに、なんでこんなに感じ方が違うの?

子育てをしていると、
どうしてそんなことにこだわるの?
なんでそんなに気にするの?
と、子どもの反応に戸惑うことがあります。
例えば、
- お気に入りのコップじゃないと泣き出してしまう
- 靴下の縫い目の位置が気になって、なかなか着替えが終わらない
- ぬいぐるみの向きが気になって、何度も直す
など、
大人にとっては「大したことじゃない」と思えることでも、
子どもにはすごく大切なことだったりします。
逆に、
- 人や動物などを、ぜんぜん違う色で塗る
- ダンゴムシを集めてポケットに入れる
- ひどく汚く散らかったテーブルでも、まったく気にせずおやつを食べる
と、大人から見ると、「どうしてそんなことするの?」「なんで気にならないの?」と感じるようなことを、
子どもは、まったく気にしなかったり、平気だったりすることがあります。
親子なのに、
なんでこんなに違うんだろう?
そう感じることもあるかもしれません。
でも、それはお互いの感性が違うだけなのです。
違いは悪いことじゃない。むしろそれは“その子らしさ”なのかもしれない

子どもの反応に驚いたり、苛立ったりしてしまうとき、
私たちは無意識に
「こう感じるのが普通」
「こう振る舞うのが自然」
というように、
“自分の基準”を子どもに当てはめていることがあります。
確かに、自分が当たり前だと思っていることと違う反応をされたとき、
戸惑ったり、不安になったりするのは自然なことです。
つい
そんなんじゃダメだよ!
と言いたくなってしまう場面も、きっとあるでしょう。
でも、感じ方は人それぞれ。
その子が何に敏感で、何に反応しやすいかは、
その子の感性であり、その子らしさでもあります。
「なんでそんなふうに感じるの?」ではなく、
「あなたはそう感じるんだね」と受け止められたとき、
子どもは安心して自分らしくいられるようになります。
感性の違いを受け入れるにはまず「自分の感性」を受け入れること

とはいえ、感性の違いをそのまま受け入れることは、実は簡単ではありません。
それは、
大人自身が「自分の感情を大切にされてこなかった」という経験を持っていることがあるからです。
「こんなことで泣くなんて、恥ずかしい」
「こんなことで怒るなんて、我慢が足りない」
そう言われて、当たり前のように自分の感情を否定されてきた人ほど、
自分の感情や感じ方に
「こんなふうに感じちゃいけない」
と、無意識に制限をかけてしまっていることがあります。
そして、その制限が普通になっていると、
子どもの感じ方に対しても、
そんなの普通じゃない!
と、つい否定的に見てしまうのです。
だからこそ、まずは親が、自分の中にある感情を、少しずつ受け入れていくことが大切です。
私はこう感じるんだな
私はこれが嫌なんだな
そんなふうに、自分の感情を否定せずに眺めるところから始めてみてください。
きっと、この小さな一歩が、親としてのあなた自身をもっとラクにし、子どもとの関係も、少しずつ心地よくしていくはずです。
違いを楽しむことで、子どもは「そのままの自分」でいられる

親が自分の感性を受け入れられるようになると、
子どもの感性も、ありのまま受け止めることができるようになります。
この子、私と全然違うなあ
そう思ったときに、
イライラではなく、
ちょっとした好奇心を持ってみる。
「へえ、これが嫌なんだ。なんでだろう?」
「こんなことが楽しいんだ。おもしろいなあ」
そんなふうに、親が子どもと自分の違いを楽しめるようになったとき、子どもは
自分の感じ方を大切にしていいんだ
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と、自然に感じることができるようになります。
そしてそれが、子どもの自己肯定感や自存心の土台になっていくのです。
おわりに:分かり合えない瞬間こそ、子どもと向き合うチャンス

「どうしてそんなふうに感じるの?」と戸惑ったときこそ、
子どもの“そのまま”に出会えるチャンスです。
感性は、育ちや経験の積み重ねで形作られる「その人らしさ」そのもの。
分かり合えない部分があるからこそ、
「あなたはそう感じるんだね」と言ってあげられることが、子どもにとって、何よりの安心になるのではないか。
私はそう思うのです。
違いを否定せず、楽しむこと。
それが子どもへの大きなプレゼントになるのかもしれません。

